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2006.05.10 Wednesday

闘病を終えて・・・

病院近くのカフェにて

父の闘病生活は、1999年の4月に始まり、2000年の5月に幕を閉じた。約1年と1ヶ月。長いようで短い闘病生活だったと思う。

当初余命3ヶ月と言われた時から考えれば、長い。しかし、それ以後色んな治療を受けてあたかも成功したようなニュアンスの台詞を耳にすれば、不思議なものでこのまま治るのではないかと思わずにはいられなかった。

奇跡が起きる・・・、そんな風に何度も思った。思いたかった。でも現実は甘くなかった。最後にホスピスに来てからも、とても体調がよくなったように思えたがやはり末期症状が回復することはなかった。

ホスピスのあの恵まれた環境に身を置くと、このまま何ヶ月もここで過ごしたい!そう願った。数日でも数時間でも少しでも長く、長く一緒の時間を過ごしたかった。

口数のもともと少ない父からは、遺言らしき言葉をもらうことは出来なかった。そのことは少し気にはなるが、この闘病生活の中で父からは様々なことを学んだのだと思う。

親孝行らしきことは何も出来なかった。幼い頃から体の弱かった私をいつも看病してくれていた父。夕食の時間に父の姿がなかった記憶がないほど、いつもまっすぐ会社から帰宅していた父。休日の前日には、「明日はどこに行こうか?」と毎週のように家族をいろんなところへ連れて行ってくれていた父。いつも家族が中心だった。

ずっと今まで愛情いっぱいに育ててくれた父への恩返しが、この闘病生活を通じて少しは出来たのだろうか?ほんの少しは出来たのだろうか?

父を失い、今年で丸6年。何か壁にぶつかりそうになる度、父の存在を大きく感じた。もう会えないという現実が怖かった。私は長女だからしっかりしないといけない、いつもそう思っていたが、父がいるから、いたから頑張れたように思う。父を失い1番悲しかったのは私なのではないだろうか?と自問自答することがしばしばあった。

6年という月日が経つのに、いまだに父の死を受け入れたくない想いがある。結婚をして家事に追われ、育児に追われてるなかで、その忙しさに助けられているのかもしれない。それでもふとした時考えると、涙が溢れてくる。

何もない日常、当たり前の日常が一変したとき、初めてその大切さが見えてくるんですね・・・。

今の私に、父へしてあげられること。それは月命日のお墓参りとお仏壇で般若心経を唱えること。ただそれだけです。どうか、いつまでも私達のことを見守っていて下さい。

2000.05.29 Monday

父の旅立ち

母の添い寝

午後10時03分、何気なく母が父のベッドへと向かい、父の側へ横たわり抱きしめた。そして、「パパ、もうママのこと抱き寄せてくれないの?」と切ない想いを伝えた。でも母の願いは届くことはなかった。

ホスピスに来てからは、父のベッドへふざけて横になることもなかったのに、母の以心伝心だったのだろうか?そんな行動に出た母の姿を思わず写真に収めていた私。

それからわずか30分ほどで父は旅立った。
苦しむことはなかった。少し息遣いに異変を感じたぐらいだった。ほんとに安らかに永遠の眠りについた・・・。母の温もりに包まれ安心したのだろうか?

先生が病室に来た時には、心臓は既に止まっていた。そして約30分後に来られ、首の頚動脈の停止で最期となる。

父は旅立つ時を自分で選んだのだろうか? 午後9時半頃までは親族が来ていた。みんなが帰り、家族4人だけになる時を待っていたのだろうか? 大好きだった家族。父の口癖は『我ら家族4人、いつも一緒!』だった。ホントに父は家族を1番に考え大切に大事にしてくれた。私達娘にも惜しみない愛をたくさん注いでくれた。

父との別れを悲しみ、泣き喚いた後、母が父にこう言った。「パパありがとう。ママは強くなったからもう大丈夫よ。安心してね!」と。この言葉を聞き、父はきっと安心して天国へと旅立つことが出来たのではないだろうか。

その後、普通なら看護婦さんや業者の人達がする『湯灌(ゆかん)』。それを私達はさせてもらえた。入浴室へと父を運び、頭から足の先までをきれいに洗ってあげた。随分細くなった父の身体をいつまでも洗っていたかった。まだ別れたくはなかった。信じられなかった。
そして、ひげを剃り、化粧をし、お気に入りの服を着せて準備は整った。
2000.05.29 Monday

父の目に映る写真達

家族の写真達

以前倉敷まで日帰りした際に、私達の写真を拡大するようお願いして来た写真が数日前に届き、父の目線からいつでも私達家族の写真が見れるように貼っている。その写真は父の目に映っているのだろうか?

正午頃から、だんだんとチアノーゼが出てきた。指先の方から少しずつ・・・。1人は右手、1人は左手、1人は足の方に座り、ずっとマッサージをしていた。そうすることで決して無くなるわけではない。でも少しでも父の温もりを感じていたかった。何かをしていたかった。みんな祈るような気持ちで父に心で語りかけていた。

そんな中でも、私達に笑顔が消えることはなかった。常に前向きに考え、色んな話をしていた気がする。そして小さなことで笑っていた。不謹慎に感じるかもしれないが、父も楽しいことが大好きな人である。私達の笑い声が聞こえることは嬉しかったと思う。きっとそうだと思う。

チアノーゼが出ているこの現状になっても、まだこの世から父が居なくなるという実感は全くなかった。もう医師の言う『日単位』から『時間単位』に移ろうとしていても・・・。


2000.05.29 Monday

瞼を閉じない父

友人からの花

午前中、妹の友人からパワーが出るような明るいお花が届いた。何だか勇気付けられた気がします。

午前中からずっと、父の瞼が閉じなくなりました。顔は右側に向いたままでずっと目を開けています。
何度と無く目を閉じさせようとしても、閉じません。不思議なほど、瞬きもせず目を開けている。
看護婦さんに聞くと「家族みんなの顔を見ておきたいんでしょう」と言われた。

2000.05.28 Sunday

数滴の涙・・・

この頃から頭を右側に向けて瞼を閉じて眠っている父。
寝返りをする力も残っていない。
睡眠薬が効いているのか、ほとんど眠ったままの父。
母は父に子守唄を歌っている・・・。

それでも私達は父にずっと語りかけていた。意識が無くなっても、聴覚は死ぬまで生きているそうだ。死ぬ直前まで生きている。だから決して患者のすぐ側でその人の悪口を言ったり、喧嘩などをしてはならないと思う。そんな無神経な人が結構多いらしい。

午後9時過ぎ、何故か父の目から数滴の涙がポロポロとこぼれてきた。悲しみを感じているのか、何を考えているのか分からない。もう私達には何も伝えてくれないのだろうか。なんの言葉も掛けてくれないのだろうか・・・。

父の声をもう一度聞きたい。
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