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2000.05.16 Tuesday

癌の転移

朝方6時前、「何でこんなに痛いんだろう。今までの人生で一番痛い」と訴える父。どの程度の痛みなのか私には想像も出来ない。

午後4時半、母と母の友人と一緒に担当医からの説明を受けた。

連日の検査の結果、父の癌の進行はとても早く一気に広がり、背骨、肺、肝臓へ転移していた。どうやら先生方にも判断しにくい場所に癌があったようだ。あの時の鎖骨骨折も転移の仕業だったのだろう。

あまりに突然の宣告。以前の話では、最期はもう少し後のニュアンスだったのに・・・。容態が悪いのは見て分かるのだが、現実としては受け取めたくない、信じたくない、そんな感じだった。

明日、いよいよホスピスへ向かうことになった。以前から話をしていた通り、最期は山口県のホスピスで過ごしたいと話し合った。しかし今の状態では、以前言っていた救急車での移動は負担が大きいので無理と判断。至急JRに連絡を取ってくれ、新幹線での移動が決まった。

それからすぐ後に、病室で父本人と一緒に待っていた妹にも告げられた。父はとても毅然とした姿で、しかも冷静に受け止めていた。「あとどれくらいですか?」との父の問いに「それはあなた次第です。一週間になるか、一ヶ月になるか」と医師。あまりに辛い告知をされて、側にいた妹の方が嗚咽が出るほどに泣いてしまった。その時、父が妹の頭を優しくポンポンとたたいた。その仕草は、まるで大丈夫だよ!とささやいているように見えた。

今日は、母が父の側で泊まる事にした。私と妹は夜中まで旅立ちの準備をしていた。皆、心は、志はひとつである・・・。
2000.05.15 Monday

連絡帳

昨日作っておいた『スカットゼリー』が好評だった。だんだんと食欲が無くなってきた父に少しでも食べてもらいたいと、試行錯誤する日々。やはり、口当たりのいいものが食べやすいみたいだ。

11時20分、50mlの座薬をする。ゴム手袋をして、ククッと上手に出来た。

昼過ぎ、急に『 MR 』が入った。腰骨の検査のようだ。

2時10分、胸水抜き開始。30分には終了。「うまくいきました。頑張って調べます」とのこと。

担当医より、奥さんは?と母を捜している様子。どうやら結果が出たみたいだ。母は疲れているので今日は私が泊まる事にした。3人で話し合った結果、明日にしてもらうことにした。

父が飲んでいるたくさんの薬が気になり、書き留めておくことにした。そして、薬を飲んだら記すように決めた。量が多すぎて、把握できなくなったのと3人のローテーションなので連絡帳を置くことにした。これで看病体制は整った!

夜は長い。

2000.05.14 Sunday

母の日

朝、病院に行く前に今日が『母の日』ということに気付き、父も毎年母に花などを贈っていたなと思い、行きがけに花束を買った。

父からと言って、母へプレゼント。涙を流して喜んでくれた。

朝は、「えらい」を連呼していたそうだ。
酸素吸入も10分間したそうだ。無理をせず、酸素を付ける様に!との指示あり。

11時頃、「ウンチをトイレでしたい」と言うので、頑張って私に寄りかかりながらトイレまで行った。急だったので、便をとるように言われていたのを忘れており、気付いた時はお尻を拭く頃。何とかへらでペーパーに付いた物をすくってはみたが足らず・・・。でも、父はすっきりした様子。

昼過ぎ、「腰が痛い」「おかしい絶対おかしい、転移してるんだ。あんな小さな写真では見えんのだ」などと言っていた。そして、私がカメラを持っていると今までは言ったこともない「やめて!写真を撮るってことは残り少ないからだ」とも言った。かなりビビッタ。もう写真は撮らない方がいいのだろうか・・・。

尿をためるように指示を受ける。

3時頃から30分程マッサージをしてあげた。少しは気持ちいいみたいだ。

会話の出来る時間も減ってきた。もう元気にはならないのか?
2000.05.13 Saturday

モルヒネ

朝の5時半、母が熟睡していたので父は母を起こさないようおしっこをしたりしていたそうだ。父の咳で目が覚めた母が父のおでこを触ると少し熱く、測ると37.6度。

7時半妹が到着。着替えをしてひげを剃ってあげる。
朝食中も意識がモウロウトしていてたそうだ。「わけの分からない言葉を話しても気にしないで。自分でも分かってる」と言ったそうだ。

11時、私が到着。母と妹と交代。出来上がった写真を持っていくと、よく撮れているものには「グーじゃん!」とか「かわいいなぁ」とか言っていた。でも写真を持つ力が十分になく途中やめになった。

モルヒネの量が、30mlから50ml、60mlまで増えた。

注射を打つばかりしていたら、血管が見つけにくくなり、とうとう手の甲に打つ事に。何度しても注射は痛いみたいだ。
2000.05.12 Friday

心臓

10時半、栄養剤と抗生物質の点滴開始。
母と妹は一度家へ帰る。交代だ。

11時頃、「頭が混戦してる」、「おかしいな」などと言いながら、目は半開きになり、手は指示を出す仕草。薬の加減だろう・・・。

昼食を食べようとすると、急にナースより連絡が入り心電図をとることに。12時過ぎ、『心電図』を撮った。心臓は特に異常なし。

1時頃、少し遅れた昼食。ゆかりご飯とさけご飯を3口ずつとセロリ、トマト、フルーツを食べた。

5時頃、担当医が来られ「来週、右肺の水を麻酔をしてとりましょう」と言われ、父が不安げにしていると「任せて下さい! 慣れてますから」と言われ納得した。

父が寝ているとき、いつも誰かが手を握っていたね・・・。父の大きな手が段々と小さくなるのが切なかった。でも温かかったな。
2000.05.11 Thursday

もしかして?

昨晩はかなり咳き込み、辛かったそうだ。

今日はもしかして?と思い、念のためお泊りセットそ用意して来た私達。予感は的中。今日は泊まることに。

朝から、『骨シンチ』、『 CT 』、『レントゲン』を撮る。なんと看護婦の連絡ミスで、父が一人で検査を回り、検査室から車椅子で帰るというハプニングが! 汗だくで血相を抱え帰ってきた父。かわいそうだった。

夕方、担当医が血相を変えて見えた。検査の結果、骨には異常は見られなかったが、左肺の裏が『肺炎』になっていたようだ。座薬を毎日していたせいもあり、高熱が出たのが分からなかったようだ。

夕食は、トマト、セロリ、温泉卵、コーンを食べた。

3人で話し合い、妹も仕事を辞めることに。
2000.05.10 Wednesday

入院

久しぶりに車に乗った父。道中の調子も良く到着。車椅子を用意し、受付で待機。座りっぱなしの大勢に疲れ、病室までレッカーで運ばれた。455号室の二人部屋だ。

珍しく咳や痰が出て苦しそうだった父。腰や肩、胸にかなり負担がかかっている様子。今までで一番苦しそうな父の姿を見た母は、涙を流していた。私は押し寄せてくる涙を必死にこらえた。

ナースに連絡し、抗生物質をすることに。咳止めと点滴のおかげで少し落ち着く。

午後7時、今夜は帰ることにした。
2000.04.12 Wednesday

ホスピスとは?

昼一で母と労災病院へ行った。今日はなんか二人ともイライラして喧嘩腰。

担当医から、父の命は短いと改めて言われた。以前、母が山口の実家に帰った時に、『ホスピス』へ見学に行きそこが良かったので最期はホスピスがいいかと相談してみた。

すると、偶然にもその『山陽病院』に先生の後輩がいることが分かり、同時に山陽病院が西日本のホスピスの中でも上位に位置することが分かった。

父の最期が近づいた時は、紹介して頂けることになった。そして、救急車で山口まで連れて行ってくれるということになった。とても心強かった。
2000.03.27 Monday

検診

今日は労災病院での久々の検診。

特に進展はなし!

天気もよかったので、カフェでお茶をしてからドライブに出かけた。一時調子が悪くなったが座薬を入れたら落ち着いた。

夕食に4人で焼肉へ出かけたが、食後にまた吐いた父。

最近は毎日のように吐いている気がする。
2000.01.31 Monday

結果発表!

今日は以前行った検査結果を聞く日。

父は結果を聞くのがちょっと怖かったのか、気が進まない様子だったので、母と二人で結果を聞きに行った。

すると、『骨シンチ』だけでは判断しにくいのでCTの予約をしてくれたそうだ。

結局父を迎えに行き、また病院へ。結果が出たのは夕方。

一応、今の時点では骨に転移は見られないと言うことだった。一安心!

そして、今日は母の誕生日。

妹と合流して、家族4人で行きつけの焼肉屋でお祝いをした。結果もオーライで嬉しさも美味しさも倍増!

今日はお祝いなので、妹と二人からごちそうしてあげました。
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