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2000.05.29 Monday

父の旅立ち

母の添い寝

午後10時03分、何気なく母が父のベッドへと向かい、父の側へ横たわり抱きしめた。そして、「パパ、もうママのこと抱き寄せてくれないの?」と切ない想いを伝えた。でも母の願いは届くことはなかった。

ホスピスに来てからは、父のベッドへふざけて横になることもなかったのに、母の以心伝心だったのだろうか?そんな行動に出た母の姿を思わず写真に収めていた私。

それからわずか30分ほどで父は旅立った。
苦しむことはなかった。少し息遣いに異変を感じたぐらいだった。ほんとに安らかに永遠の眠りについた・・・。母の温もりに包まれ安心したのだろうか?

先生が病室に来た時には、心臓は既に止まっていた。そして約30分後に来られ、首の頚動脈の停止で最期となる。

父は旅立つ時を自分で選んだのだろうか? 午後9時半頃までは親族が来ていた。みんなが帰り、家族4人だけになる時を待っていたのだろうか? 大好きだった家族。父の口癖は『我ら家族4人、いつも一緒!』だった。ホントに父は家族を1番に考え大切に大事にしてくれた。私達娘にも惜しみない愛をたくさん注いでくれた。

父との別れを悲しみ、泣き喚いた後、母が父にこう言った。「パパありがとう。ママは強くなったからもう大丈夫よ。安心してね!」と。この言葉を聞き、父はきっと安心して天国へと旅立つことが出来たのではないだろうか。

その後、普通なら看護婦さんや業者の人達がする『湯灌(ゆかん)』。それを私達はさせてもらえた。入浴室へと父を運び、頭から足の先までをきれいに洗ってあげた。随分細くなった父の身体をいつまでも洗っていたかった。まだ別れたくはなかった。信じられなかった。
そして、ひげを剃り、化粧をし、お気に入りの服を着せて準備は整った。
2000.05.29 Monday

父の目に映る写真達

家族の写真達

以前倉敷まで日帰りした際に、私達の写真を拡大するようお願いして来た写真が数日前に届き、父の目線からいつでも私達家族の写真が見れるように貼っている。その写真は父の目に映っているのだろうか?

正午頃から、だんだんとチアノーゼが出てきた。指先の方から少しずつ・・・。1人は右手、1人は左手、1人は足の方に座り、ずっとマッサージをしていた。そうすることで決して無くなるわけではない。でも少しでも父の温もりを感じていたかった。何かをしていたかった。みんな祈るような気持ちで父に心で語りかけていた。

そんな中でも、私達に笑顔が消えることはなかった。常に前向きに考え、色んな話をしていた気がする。そして小さなことで笑っていた。不謹慎に感じるかもしれないが、父も楽しいことが大好きな人である。私達の笑い声が聞こえることは嬉しかったと思う。きっとそうだと思う。

チアノーゼが出ているこの現状になっても、まだこの世から父が居なくなるという実感は全くなかった。もう医師の言う『日単位』から『時間単位』に移ろうとしていても・・・。


2000.05.29 Monday

瞼を閉じない父

友人からの花

午前中、妹の友人からパワーが出るような明るいお花が届いた。何だか勇気付けられた気がします。

午前中からずっと、父の瞼が閉じなくなりました。顔は右側に向いたままでずっと目を開けています。
何度と無く目を閉じさせようとしても、閉じません。不思議なほど、瞬きもせず目を開けている。
看護婦さんに聞くと「家族みんなの顔を見ておきたいんでしょう」と言われた。

2000.05.28 Sunday

数滴の涙・・・

この頃から頭を右側に向けて瞼を閉じて眠っている父。
寝返りをする力も残っていない。
睡眠薬が効いているのか、ほとんど眠ったままの父。
母は父に子守唄を歌っている・・・。

それでも私達は父にずっと語りかけていた。意識が無くなっても、聴覚は死ぬまで生きているそうだ。死ぬ直前まで生きている。だから決して患者のすぐ側でその人の悪口を言ったり、喧嘩などをしてはならないと思う。そんな無神経な人が結構多いらしい。

午後9時過ぎ、何故か父の目から数滴の涙がポロポロとこぼれてきた。悲しみを感じているのか、何を考えているのか分からない。もう私達には何も伝えてくれないのだろうか。なんの言葉も掛けてくれないのだろうか・・・。

父の声をもう一度聞きたい。
2000.05.28 Sunday

迷惑な見舞い

早朝の庭

午前0時半、汗だくなため、着替え。
午前3時半、おしっこが漏れていることに気付く。着替えをし、パンパースにする。
午前4時半、薬が切れたのか起き上がろうとするため、皮下注射で睡眠を確保する。

午前5時頃、白々としてきた風景に吸い込まれるように外へ出た私。雨上がりの庭は、不思議な雰囲気に包まれていた。早朝の澄んだ空気は気持ちよかったが、私達の不安な心境を物語るかのような曖昧な色彩は涙を誘う。また今日も一日が始まる・・・。

午前8時半、また起き上がろうとする。「放っとけ!」「黙っとけ!」など今まで父の口からは聞いたこともないような暴言を吐きながら、必死に起き上がろうとする力はとても病人とは思えない力強さがあった。

午前9時50分、父の仕事仲間が倉敷から見舞いに来てくれた。帰り際、父は起き上がり「アリガトウ」と言って微笑んだ。きっと嬉しかったんだろう。元気な時の父は、日頃から自分のことをあまり語らないのでどんな交友関係があったのか私達は知らなかった。皮肉にも病気になってから知ることになった・・・。

午前10時、次は迷惑な来客だ。何度か足を運んでくれるが厚かましく長居をするこの人達ははっきり言って迷惑だ。状況を見てから判断して欲しいと思う。掛ける言葉にも耳を疑うセリフあり。
2000.05.27 Saturday

せん妄の進行

午前1時、父が「痛い」と言うので『レスキュー』という痛み止めを2錠飲ませる。酸素の管を外そうとするので要注意。
午前5時50分、体温36.8度。汗が多くなってきた。
午前7時半、 朝食。温泉卵、トマト3個、ご飯3口食べた。
午前9時、髭剃り、顔拭き、着替えをしてあげる。ほとんど意識がない中での着替えは1人では困難になってきた。

午前9時半、母の友人がお見舞いに来られる。不思議とその時だけは意識が正常に戻った父。きちんと挨拶をしていた。嬉しくて思わず涙が出てきた私達。
午前10時、ナースの回診。モルヒネを1日2回しているが、途中で痛くなったらレスキューを2錠。いつでも飲ませてあげて下さい。と言われた。そして「そろそろせん妄が悪化してきてるんでしょう。あと、退院の衣装はありますか?」と尋ねられた。もう、そんな状態なのか・・・。

午前10時半、「腰が痛い」と言うので、レスキューを2錠飲ませた。

午後3時、父の友人が名古屋からはるばる、見舞いに来てくれた。すると友人に「もう、切羽詰まっちゃったよ」と言っていた。ちゃんと友人のことは認識していた様子だった。
午後4時、母の友人一家が倉敷からお見舞いに来てくれた。小さい子供に対し「おじさんだよ」と声を掛けていた。少し微笑む父の姿を見ることが出来た。

午後4時半、体温36.5度。「痛い!」を連呼する父。痛み止め3錠飲む。夕方の薬から量を増やすことになった。
午後7時半、夕食。にゅうめん、トマト、ホタテを少しずつ食べた。
午後9時半、着替え。
2000.05.26 Friday

父の訴え

午後12時15分、昼食。イカ刺身2切れ、うどん1口、ケーキ2口。「もう欲しくない」と食欲がない。
午後2時40分、咳止めを2錠飲む。「何だか咳で、筋肉が痛むなー」と父。身体に響いて痛いんだろう・・・。

午後3時15分、ティータイム。アイスティーとお饅頭を4分の3食べた。
午後3時50分、『エコー検査』開始。

夕方、担当医が見えた時に「どうも、うつらうつらしててよく眠れない。睡眠不足の様な気がする」と訴えていた父。
そして「喉は渇きますか?」との問いに対して「すごく乾く。だけど寝たままだと非常においしくない」と答えていた。・・・なので、なるべく頭を起こしてから飲ませてあげることにしました。

午後6時、着替え。
午後6時40分、夕食。やっと手に入れた鯨の尾のみ2切れ、耳イカ1口、ご飯1口を食べた。

午後7時、ほとんど全部吐いた。
午後7時半、突然父が「和室に行きたい」と訴えてきた。ナースに問い合わせると親族や看病する人が休む部屋(和室)があるので空いていたらどうぞと言われ、早速車椅子で和室に向かった。
すると嬉しそうに「旅館に来たみたいだなぁ」と父。こんなわがままも通用するホスピスに感謝。

午後8時、父が「迷惑がかかるからそろそろ帰ろうか」と言ってきた。今日はいいと許可をもらっていたが父が気になるようなので部屋に戻った。そして、薬を飲み、注射をした。

午後9時半、睡眠薬を飲む。
2000.05.26 Friday

咳と痰

午前6時20分、体温38.1度。咳がひどい。痰も出る。酸素吸入と座薬をすることに。対応が早い。ホスピスのナース達はみんなトランシーバーの様なものを携帯しており、担当のナースにすぐ繋がるようになっている。患者側としては、心強い。

午前7時半、朝食。おかゆ、味噌汁、トマト2個、温泉卵、かき氷(メロンミルク味)、特製フレッシュジュース(私がオレンジを絞ったもの)。
午前9時50分、浣腸の準備のため、パンパースをする。私がトイレで席を立つ時、「不安になるからナースコールを側に置いといて」と言う。少しでも1人にさせる時は、今後ナースコールを側に置くことに決めた。
午前10時20分、便開始。頑張ったが出ず・・・。

午前10時55分、酸素をしたままお風呂へ向かった。
午前11時25分、お風呂から帰ってきた。すると「スッキリはしたけど、ナースによってそれぞれやり方が違うから困るよー」と父。意外としっかりしている。そして、スイカバーの残りを食べる。

2000.05.25 Thursday

医師の説明

父の手

午後6時、父希望の『豚足』を焼いて、ビールと一緒に食べた。

午後6時半、担当医K先生の話をカウンセリングルームで聞いた。今までの病状説明と、これからの予測などを詳しく、分かりやすく丁寧に教えてくれた。
・肺機能(酸素飽和度)が90%を下回ると低酸素となり呼吸困難となる
・モルヒネの量は、以前より減っている
・せん妄・・・精神症状(軽度意識障害)、脳の機能低下
・病状の変化の間隔の推移・・・月単位→週単位→日単位→時間単位→死
・悪液質・・・癌に体の栄養を取られるため、衰弱し痩せていく。倦怠感の増強
・急変時・・・心電図モニターは付けない、心肺蘇生は行わない

午後8時、薬を飲む。
午後9時、歯磨きをする
午後10時45分、37.6度。
午後11時半、「ポカリが飲みたい」と言うので買いに行く。今日はよく水分補給をする。
2000.05.24 Wednesday

少し早い父の日の贈り物

家族の絆

午後12時20分、母の友人達が倉敷からわざわざお見舞いに来てくれた。記念にみんなで写真を撮る時、父は『アイ〜ン!』のポーズをしていた。

午後12時30分、昼食。玉子焼き1切れ、スイカ2切れ、ゼリー1口食べた。

午後4時半、K先生来られ、「レントゲンの結果、肺炎の影は薄くなってきてます」とのこと。

午後4時50分、シュークリームを1個食べる。「これには温かい飲み物だな」と言って緑茶を飲んだ。

午後6時25分、おしっこをする。
午後6時半、一度伯母さんの家に行った私と母が到着。

以前妹と倉敷に日帰りした際、父の日のプレゼントも探していた。そしてひらめいた! 家族の絆が永遠に続くように願いを込めてお揃いのリングを買った。全てのリングの内側には『L'amour eternel』フランス語で永遠に・・・と言う言葉を刻んでもらった。
父に私と妹から「少し早いけど、父の日のプレゼントよ」と渡した。号数が合うか不安だったがぴったりだった。やっと届いた指輪。4人お揃いの指輪・・・。

父のグローブの様に大きな手が大好きだった。何でも包み込んでくれそうな、あたたかい手。それが病気になってすっかり細くなってしまった。でもまだ温かいぬくもりは感じられる。

午後6時50分、いつもより少し遅れた夕食。肉じゃが、アジの刺身、豆ご飯などを少しずつ食べた。

午後8時、点滴開始。薬飲む。
午後8時20分、点滴終了。
午後8時50分、歯磨きをする。

午後10時40分、36.9度。また熱が出る嫌な予感がする。
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